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古今著聞集 三一九
刑部卿敦兼の北の方夫の朗詠に感じ契を深うする事
【本文】
刑部卿敦兼は、みめのよににくさげなる人なりけり。その北の方は、はなやかなる人なりけるが、五節(ごせち)を見侍りけるに、とりどりに、はなやかなる人々のあるを見るにつけても、まづわがをとこのわろさ心うく覚えけり。家に帰りて、すべて物をだにも言はず、目をも見あはせず、うちそばむきてあれば、しばしは、何事のいできたるぞやと、心も得ず思ひゐたるに、しだいにいとひまさりてかたはらいたきほどなり。さきざきのやうに一所にもゐず、方をかへて住み侍りけり。ある日、刑部卿出仕して、夜に入て帰りたりけるに、出居(いでゐ)に火をだにもともさず、裝束は脱ぎたれども、たたむ人もなかりけり。女房どもも、みな御前(おまへ)のまびきにしたがひて、さしいづる人もなかりければ、せむかたなくて、車寄せの妻戸を押し開けて、ひとり眺めゐたるに、更(かう)闌(た)け、夜静かにて、月の光、風の音、物ごとに身にしみわたりて、人のうらめしさも、とりそへて覚えけるままに、心をすまして、篳篥(ひちりき)をとりいでて、時のねにとりすまして、
ませのうちなるしら菊も うつろふみるこそあはれなれ
我らがかよひてみし人も かくしつつこそ枯れにしか
と、くり返しうたひけるを、北の方聞きて、心はやなほりにけり。それよりことになからひめでたくなりにけるとかや。優(いう)なる北の方の心なるべし。
【現代語訳】
刑部卿敦兼は、容貌がじつに醜い人であった。その奥方は、美しい人だったが、(奥方が)五節の舞を見ましたときに、いろいろと美しい人々がいるのを見るにつけて、まず自分の夫の醜さが情けなく思われた。家に帰って、(奥方が)まったく物さえ言わず、(敦兼と)目も見合わせず、そっぽを向いているので、(敦兼は)しばらくは「何事が起こったのか」とわけがわからなく思っていたが、だんだん(奥方の敦兼を)いやだと思う気持ちがつのって、はたから見ても気の毒なほどだ。以前のように同じ所に(一緒に)いず、(奥方は)部屋を替えて住んでいました。ある日、刑部卿が出仕して、夜になって帰ってきたときに、出居に灯さえともしてなくて、装束を脱いだけれどもそれをたたむ人もいなかった。侍女たちも、みんな奥方の目くばせに従って、(敦兼の前に)出てくる人もいなかったので、(敦兼は)どうしようもなくて、車寄せの妻戸を押し開けて、ひとりぼんやり物思いに沈んでいたが、夜が更けて、夜が静かで、月の光や風の音など、物ごとに身にしみて、人(=奥方)への恨めしさも加えて(悲しく)思われたので、心をしずめて、篳篥を取り出して、季節柄にふさわしい調子に吹き響かして、
ませ(=竹や木で作った、丈が低く目の粗い垣根)のうちにある白菊も、色あせてゆくのを見るのは悲しいことよ。
私が通って夫婦として暮らした人も、このようにして(私への愛情が)枯れ(「離(か)れ」との掛詞)てしまったのだなあ。
と繰り返し歌ったのを、奥方が聞いて、(奥方の)機嫌はすぐに直った。それ以来(二人は)格別に仲むつまじくなったとかいうことだ。風流な奥方の心であるに違いない。
【品詞分解】
名詞 |
係助 |
名詞 |
格助 |
副詞 |
形容動詞 「にくさげなり」 連体形 |
名詞 |
助動詞「なり」 連用形 断定 |
助動詞「けり」 終止形 過去 |
代名詞 |
格助 |
名詞 |
係助 |
形容動詞 「はなやかなり」 連体形 |
|||
刑部卿敦兼 | は | 、 | みめ | の | よに | にくさげなる | 人 | なり | けり | 。 | そ | の | 北の方 | は | 、 | はなやかなる |
名詞 |
助動詞「なり」 連用形 断定 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
接助 |
名詞 |
マ上一「見る」 連用 |
ラ変「はべり」 連用形 丁寧の補助動 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
格助 |
形容動詞 「とりどりなり」 連用形 |
形容動詞 「はなやかなり」 連体形 |
名詞 |
格助 |
ラ変「あり」 連体形 |
||||
人 | なり | ける | が | 、 | 五節 | を | 見 | 侍り | ける | に | 、 | とりどりに | はなやかなる | 人々 | の | ある |
格助 |
マ上一「見る」 連体形 |
格助 |
カ下ニ「つく」 連用形 |
接助 |
係助 |
副詞 |
代名詞 |
格助 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
ク形「心うし」 連用形 |
ヤ下二「おぼゆ」 連用形 |
助動詞「けり」 終止形 過去 |
名詞 |
格助 |
||
を | 見る | に | つけ | て | も | 、 | まづ | 我 | が | をとこ | の | わろさ | 心うく | 覚え | けり | 。 | 家 | に |
ラ四「帰る」 連用形 |
接助 |
副詞 |
名詞 |
格助 |
副助 |
係助 |
ハ四「言ふ」 未然形 |
助動詞「ず」 連用形 打消 |
名詞 |
格助 |
係助 |
サ下二「見合はす」 未然形 |
助動詞「ず」 連用形 打消 |
カ四「うちそばむく」 連用形 |
|||
帰り | て | 、 | すべて | 物 | を | だに | も | 言は | ず | 、 | 目 | を | も | 見あはせ | ず | 、 | うちそばむき |
接助 |
ラ変「あり」 已然形 |
接助 |
副詞 |
係助 |
名詞 |
格助 |
カ変「出で来」 連用形 |
助動詞「たり」 連体形 完了 |
係助 |
間助 |
格助 |
名詞 |
係助 |
ア下二「う」 未然形 |
|||
て | あれ | ば | 、 | しばし | は | 、 | 何事 | の | いでき | たる | ぞ | や | と | 、 | 心 | も | 得 |
助動詞「ず」 連用形 打消 |
ワ上一「思ひゐる」 連用形 |
動詞「たり」 連体形 存続 |
接助 |
副詞 |
名詞 |
ラ四「まさる」 連用形 |
接助 |
ク形「かたはらいたし」 連体形 |
名詞 |
助動詞「なり」 終止形 断定 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
|||
ず | 思ひゐ | たる | に | 、 | しだいに | いとひ | まさり | て | かたはらいたき | ほど | なり | 。 | さきざき | の | やう |
助動詞「なり」 連用形 断定 |
名詞 |
格助 |
係助 |
ワ上一「ゐる」 未然形 |
助動詞「ず」 連用形 打消 |
名詞 |
格助 |
ハ下二「かふ」 連用形 |
接助 |
マ四「住む」 連用形 |
ラ変「はべり」 連用形 丁寧の補助動詞 |
助動詞「けり」 終止形 過去 |
連体詞 |
名詞 |
名詞 |
|||
に | 一所 | に | も | ゐ | ず | 、 | 方 | を | かへ | て | 住み | 侍り | けり | 。 | ある | 日 | 刑部卿 |
名詞 |
サ変「す」 連用形 |
接助 |
名詞 |
格助 |
ラ四「入る」 連用形 |
接助 |
ラ四「帰る」 連用形 |
助動詞「たり」 連用形 完了 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
格助 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
格助 |
副助 |
係助 |
サ四「ともす」 未然形 |
||
出仕 | し | て | 、 | 夜 | に | 入り | て | 帰り | たり | ける | に | 、 | 出居 | に | 火 | を | だに | も | ともさ |
助動詞「ず」 連用形 打消 |
名詞 |
係助 |
ガ四「脱ぐ」 連用形 |
助動詞「たり」 已然形 完了 |
接助 |
マ四「たたむ」 連体形 |
名詞 |
係助 |
ク形「なし」 連用形 |
助動詞「けり」 終止形 過去 |
名詞 |
係助 |
副詞 |
||||
ず | 、 | 裝束 | は | 脱ぎ | たれ | ども | 、 | たたむ | 人 | も | なかり | けり | 。 | 女房ども | も | 、 | みな |
名詞 |
格助 |
名詞 |
格助 |
ハ四「したがふ」 連用形 |
接助 |
ダ下二「さしいづ」 連体形 |
名詞 |
係助 |
ク形「なし」 連用形 |
助動詞「けり」 已然形 過去 |
接助 |
ク形「せむかたなし」 連用形 |
接助 |
名詞 |
|||
御前 | の | まびき | に | したがひ | て | 、 | さしいづる | 人 | も | なかり | けれ | ば | 、 | せむかたなく | て | 、 | 車寄せ |
格助 |
名詞 |
格助 |
カ下ニ「押し開く」 連用形 |
接助 |
副詞 |
ワ上一「ながめゐる」 連用形 |
助動詞「たり」 連体形 完了 |
接助 |
名詞 |
カ下ニ「たく」 連用形 |
名詞 |
形容動詞 「静かなり」 連用形 |
接助 |
名詞 |
||||
の | 妻戸 | を | 押し開け | て | 、 | ひとり | 眺めゐ | たる | に | 、 | 更 | 闌け | 、 | 夜 | 静かに | て | 、 | 月 |
格助 |
名詞 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
格助 |
ラ四「しみわたる」 連用形 |
接助 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
係助 | ||||
の | 光 | 、 | 風 | の | 音 | 、 | 物ごと | に | 身 | に | しみわたり | て | 、 | 人 | の | うらめしさ | も | 、 |
ハ下ニ「とりそふ」 連用形 |
接助 |
ヤ下ニ「覚ゆ」 連用形 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
格助 |
サ四「すます」 連用形 |
接助 |
名詞 |
格助 |
ダ下ニ「とりいづ」 連用形 |
接助 |
名詞 |
|||
とりそへ | て | 覚え | ける | まま | に | 、 | 心 | を | すまし | て | 、 | 篳篥 | を | とりいで | て | 、 | 時のね |
格助 |
サ四「とりすます」 連用形 |
接助 |
|
に | とりすまし | て | 、 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
助動詞「なり」 連体形 所在 |
名詞 |
係助 |
ハ四「うつろふ」 連体形 |
マ上一 「みる」連体形 |
係助 |
形容動詞 「あはれなり」 已然形 |
|||||
ませ | の | うち | なる | しら菊 | も | うつろふ | みる | こそ | あはれなれ |
名詞 |
格助 |
ハ四「かよふ」 連用形 |
接助 |
マ上一「みる」 連用形 |
助動詞「き」 連体形 過去 |
名詞 |
係助 |
副詞 |
サ変「す」 連用形 |
接助 |
係助 |
ラ下ニ「枯る」 連用形 |
助動詞「ぬ」 連用形 完了 |
助動詞「き」 已然形 過去 |
||
我ら | が | かよひ | て | み | し | 人 | も | かく | し | つつ | こそ | 枯れ | に | しか |
格助 |
ハ四「くり返す」 連用形 |
ハ四「うたふ」 連用形 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
格助 |
名詞 |
カ四「聞く」 連用形 |
接助 |
名詞 |
副詞 |
ラ四「なほる」 連用形 |
助動詞「ぬ」 連用形 完了 |
助動詞「けり」 終止形 過去 |
代名詞 |
格助 |
|||
と | くり返し | うたひ | ける | を | 、 | 北の方 | 聞き | て | 、 | 心 | はや | なほり | に | けり | 。 | それ | より |
副詞 |
名詞 |
ク形「めでたし」 連用形 |
ラ四「なる」 連用形 |
助動詞「ぬ」 連用形 完了 |
助動詞「けり」 連体形 過去 |
格助 |
係助 |
間助 |
形容動詞 「優なり」 連体形 |
名詞 |
格助 |
名詞 |
助動詞「なり」 連体形 断定 |
助動詞「べし」 終止形 推量 |
||
ことに | なからひ | めでたく | なり | に | ける | と | か | や | 。 | 優なる | 北の方 | の | 心 | なる | べし | 。 |